制約・枠組みの中で日本は再生する


制約の中で自分を活かす

「和の時代」の到来です。日本人の心の奥底に眠っている「和をもって尊し」の精神を今こそ目覚めさせるときです。
 では、「和の時代」とはどのような時代で、私たちはその時代にどのように生きていくことが大切なのでしょうか?
「和の時代」は「制約の時代」「枠組みの時代」です。あらゆるものに制約・枠組みが課せられる時代です。「制約」と聞くと、ある人は言論統制や、軍国主義の復活と騒ぎ出すかもしれませんね。それは違います。「制約」の反対語は「野放図」です。これからの時代は枠組みが必要だということです。
 今まで私たちは「自由」という意味を短絡的に捉え、好き勝手に解釈してきました。「自由」=「野放図」ではありません。その勘違いが現代の日本を生んでしまったのではないでしょうか。
 今大事なのは、人間というのは、制約・枠組みの中でこそ活かされるということに気づくことです。今まではその枠組みがはずれたところで動き、物事を考えてきたはずです。
 家庭においても制約があったからこそ機能していたことが多々あったはずです。「なにを古いことを」と一蹴するのは簡単です。でも、その自分勝手な考えが、世間の風潮が、今の時代を招いたのですよ。今こそ「制約が大事」だということを再認識してください。
 これから訪れる「和の時代」こそ、自分本来の考え方を確立できるときです。そのためには、枠組みの中でいかに自分らしい生き方をしていくかが問われます。しかし、その生き方を続けていくと、いかに和を乱さないで生きていこうかとする知恵が生まれます。
 今までは自分勝手な生き方でした。唯我独尊というか、周りは一切関係ないというわがままな生き方ではなかったでしょうか? 前回、「人間形成は人間関係から」と書いたように、私たちは生きていくうえで、周りの人の力を借りてきたことをまったく無視して動いてきたように思えます。
 制約の中で生きるとは、周りに人がいる、人の力を借りて生きていくということです。人の意見を取り入れながら物事をやっていくことが大事です。人の意見を取り入れながら自分の色を出すことが大切です。今までは単色でした。単色だと周りとのバランスも取れませんし、犠牲も増えます。
 最近、テレビ特にNHKを見ていて感じるのは、出演者がみんな穏やかで、そこには激しいものが感じられないということです。周りとのバランスを考えて発言している人が多くなったと感じます。
「ともによくなりましょう」……当たり前のことですが、今まではそれがなかったように思えます。和の心をもつことで自分が活かされるということに思い至ってください。集団とのバランスというものが、今まではあるようでありませんでした。集団の中でがんばるということは、一人だけ突出するのではなく、自分の色を出しながら周りと仲良くする、バランスを取るということです。その大切さを心がけていくことが大事だと思います。制約の中で自分を活かす心がけ、「和をもって尊しとなす」の意味を、今一度考えてみてください。

次元の低い陰の時代だから残虐ないじめは起こった

 いじめの問題がマスコミで取りざたされていますが、私は被害者は一人、残りは全員加害者だと考えます。
 本来、日本人というのはバランス感覚が発達していた民族だと思います。隣り合わせた人とのバランス感覚、上下関係におけるバランス感覚を大事にしていたと思います。その思いこそ正しいはずなのに、現代は一人の被害者のほかは全部加害者という図式ができてしまいました。かわいそうだといって被害者の側に立てば、その子もいじめられるという図式になっています。教師までそんな考えになっているのではないでしょうか?
 何か一つ他人より劣った部分をもっているだけで被害者にされてしまう。その子に同情すると自分もいじめられる。挙句の果ては加害者が守られる……アンバランスでおかしなことだとは思いませんか?
 そのことをはっきりわからせてくれるのが「和の時代」です。そういった考えは間違いだということ、残酷なことはもちろん、不正を犯したり、自分に都合のいい人以外は認めないという生き方は、これから許されなくなってきます。心ある人たちは「今までのやり方は間違っていた」ということを訴えていかなければいけません。教育現場だけでなく、会社、組織、近隣との付き合いにおいても今こそ改善していく心を多くの人がもってほしいと思います。
 昭和63年(1988)から平成18年(2006)までの約20年間は陰の時代でした。それもきわめて次元の低い陰の時代です。日本は落ちるところまで落ちてしまいました。いじめにしても質が残酷すぎます。いじめは昔からありました。しかし、同じ陰の時代でも次元の高さがありました。そこに残酷さ、陰湿さはありませんでした。人間の尊厳は守られていたように思います。そして、昔は必ず救いがありました。先生や友人などが力になってくれました。何かが原因でいじめられたり、敬遠されることはありましたが、ある部分ではその子の人間性に共鳴したり、「一緒にいこうよ」という仲間意識がありました。次元の高い陰の時代はそういうことがあっても長く続きません。パッと切り替えができる時代だったのです。今は先生に言っても、いじめは解決できなくなりました。それは次元の低い陰の世の中だからです。その証拠にその状況が今もまだダラダラと続いています。
 では、次元が高かった陰の時代とはいつぐらいのことをいうのでしょう。それは昭和22〜32年(1947〜57)あたりです。現在の団塊の世代の人たちが小学生時代を過ごしていた時期です。同じ陰の時代でしたが、社会全体がカラッとしていました。今は一億総中流家庭ですが、そのころは貧富の差が歴然とありました。しかし、家庭生活に落差はあっても、それを認め合って、仲良く遊んだものです。いじめられっ子を全員ではじき出すということはありませんでした。子どもの中にも役割があって、ガキ大将は横暴だけど弱い者いじめをしないとか、みんなで助け合うとか、暗黙の了解がありました。連帯意識があったように思います。しかし、今はその連帯意識が間違った方向に進んでいるように思えるのです。
 援助交際も次元の低い陰の時代の現象です。昔も女性が体を売ることはありましたが、生活が苦しいから、家計を支えるために体を売るということが多分にあったと思います。しかし現代は、もっともっと贅沢がしたい、簡単にお金を手に入れたいといったように、人間としての尊厳を無視して、楽だから簡単だからという理由で体を売ってしまいます。その女性たちをお金で買う大人も狂ってしまっているのが今の世の中です。次元の高い陰の時代であれば、生活が豊かな家の子どもたちは援助交際などはしなかったはずです。
 このように、この20年はきわめて低い次元の中で物事が動かされてきました。悲しい事件や残虐な事件が多発し、人が人にレッテルを貼り、自分に都合の悪い人は徹底的におとしめるという傲慢な生き方……宇宙(天・神)がそれを許すと思いますか? そろそろ目覚めてほしいと思います。制約・枠組みの中で活かされるというよさを感じてほしいのです。陰の時代が今までにないひどさだったから、これからの陽の時代、「和の時代」にその教訓が活かされるということはあります。そういった意味で、今までの約20年は必然悪だったといえるでしょう。

アメリカのスタイルは日本に合わない

 また、今回の陰の時代の前にあった陽の時代も、この低次元の陰の時代を生んだ要因といえるでしょう。
 戦争に負けて、大人たちは日本を再建させようとがむしゃらに働いてきました。そのおかげで、日本は物質的に恵まれ、世界の経済大国の仲間入りをしました。しかもすごく短時間で、その偉業をなし遂げました。しかし、その影で継承されなかったもの、忘れられてきたもの、失ったものもたくさんあります。それが、日本人として長年培ってきた心であり、伝統であり、文化です。急な変化から生まれた歪みが今の世の中を形作ってきたのではないでしょうか。
 心を大切にする日本人が、アメリカの影響を受けて、物やお金に固執してきた結果だと思います。本来、アメリカのスタイルは日本に合わないところがあります。合理的な考え、物質的な豊かさ、それが格好いいことだと信じ込まされてきた戦後。そのスタイルは日本にとって必要なところもありましたが、根本的に合いません。まったく違う文化をもつ日本なのにアメリカのやり方を真似しすぎてしまいました。経済・教育・生活スタイル、いろんな面で戦後60年間のひずみが今現れているのです。私たち親が反省しなければいけないことではないでしょうか。自分たちが苦労したから、次の代には苦労をさせたくないという理由で、本来必要な「制約・枠組み」までもはじき出してしまった結果が現代です。昔は家庭の中に厳しい制約がありました。その家庭家庭で独特のフォルムがありましたが、今はありません。
 戦後の昭和30年代から40年代にかけての経済成長を経て、昭和62年(1987)までは陽の時代でした。特に昭和43年(1968)あたりから高度成長の勢いが増して、経済が明るくなりました。そのため、日本人は短絡的に物質を追い求めるようになりました。物質的なものをつくりすぎてしまった、求めすぎてしまったためにこのようになったといえます。心の豊かさよりも物質的な豊かさを追ってしまったその短絡さが日本古来の心を失わせ、物の本質を見る目を曇らせてしまったのではないでしょうか。華やかさ、楽しさ……開放的な明るさだけを尊重するようになった結果が今回の陰の時代を作ってしまったといえます。

日本人本来の大和心を思い起こそう

 中国算命学では「精神が40%、現実が60%」といわれます。精神と現実がバランスを取ることが大事なわけですが、この前の陽の時代は、その精神部分を完全に切り離し、精神部分もすべて物質で満足させようとした時代でした。戦後の苦しさから脱却しようとするあまり、やりすぎて、踊らされたのでしょうね。これには時代背景も関係します。人間がその時代背景に乗せられやすいところがありました。陽の時代でも、陽の陽、陽の陰の両面があり、いくら経済発展したといっても苦しい人たちもいたはずです。その苦しい声を聞かなかった、無視してきたからこのようになったのです。それは宇宙(天・神)の働きだけではなく、人間の欲望や我欲がそうさせてきた部分が多いと思います。昔から受け継がれてきた日本人の心を見失わなければ、ここまで次元は低くならなかったでしょう。
 これからはどん底にまで落ちてしまったことを活かさなければいけません。それをしなければ日本に救いはありません。生々しい残酷さを見せ付けられた私たちは、これからはいかに精神部分に重点を置き、人の心のリズム、人が奏でる心の音色を大事にしていくかが重要になります。心のマナーを大切にしてください。心のマナーがあってこそ、初めてバランスのとれた世の中が成り立っていくのだということを今知らされているのですから。
 私たちが日本人本来の大和心を思い起こし、物質的にも精神的にも欧米の属国にならずに、本来の生き方を続ければ、この国はきっとよくなると思います。今までにない陰の時代を過ごしてきたため、建て直しには時間がかかると思いますが。それが間に合うかどうかは、これからの時代の継承者が時代の危機に気づいて、その建て直しに真剣に取り組めるかどうかにかかっています。
 今まさにそういうときを迎えています。きちっとした制約・枠組みを政府もそうですが、法律や学校、家庭においても早急に検討し、構築していただきたいと思います。その枠組みがしっかりしないと、またアンバランスで偏った時代になる危険性があり、日本国が消滅し、どこかの国の属国になるおそれがあります。そうなってからでは手遅れです。今こそ、国民全員が気づき、一人ひとりが制約の中で、自分の色を出していってほしいと思います。

自然の摂理から日本ががんばることが大事

 では、日本人としてどのように生きていけばいいのでしょうか、何を大切にしなければいけないのでしょうか……。
 日本人として一番大切にしなければいけないのは「品位」です。日本人のよさは、ストレートにものを出さないということです。それは内閣総理大臣の安倍晋三さんを見ているとよくわかります。安倍さんは心の中にはすごく激しいものをもっているはずです。しかし、絶対それを国民には見せません。これがすごく大事なのです。これからは自分の心をコントロールするということがすごく大切になってきます。自我がしっかり確立しているかどうかが問題です。自我がない人は自分をコントロールできないし、演じることができません。また、自我がない人ほど無責任な発言をしてしまいます。そのことで周りの氣を乱していく危険性があります。
 相手の気持ちを慮って発言したり、態度に表せるのはとても日本的なことで、ほかの国ではなかなかできません。多数決の論理で「Yes」が多いほうが正しいとか、これは正当だから従いなさいといっても、傷つく人はいっぱいいます。その傷ついた人たちに思いを至らせて、「本当はそうではないんだよ。数の論理が正しいということはないんだよ。一人ひとりが違うことがすばらしいんだよ」ということをみんなが認め合うことがすごく大事だと思います。それが日本人が世界に誇れる「品位」です。
 日本人のDNAをもう一度復権させなければいけないのではないでしょうか。「日本人の考えは玉虫色」とよく非難されますが、玉虫色は協調性の色です。日本人独特の色といえます。これからの「和の時代」に玉虫色を毛嫌いすることはありません。
 一日も早く自我を確立しましょう。自我の確立している人はどのようなときでも自分というものを見失うことがありません。自分の色と相手の色を中和させて新しい色を作り出していけるのですから。だから企業も合併したりM&A(mergers and acquisitions・企業の合併・買収)をしたりするのではないでしょうか。自分の色と相手の色を尊重しながら、合併して新しい色を出していく。そしてお互いをよくしていこうとする……これがポイントです。日本の企業のあり方をしっかりと確立しなくてはいけません。そうでないと数の論理で外国企業に潰されてしまいます。ただ、東芝や日立といった企業が最近世界で再評価されている現実を見ても、自力をつけている企業は多くなったといえます。自分たちの色と外資系の色をうまく融合してきたのかなと思います。それに対して、外国の企業は行き詰まっています。それは個人主義というもので押し通してきたからにほかなりません。唯我独尊で来ましたからね。
 日本がこれから「和の時代」に入るからといって、他の国もそうかというと違います。それぞれの国で時代背景は違いますから。ただいえることは、「陽の時代」、特に「和の時代」はとても日本に合っているということです。インドや中国は現在、動乱期です。アメリカはすでに陽の時代に入っていますが、平成21年(2009)からどう変わっていくのかがポイントになります。数の論理、力の論理は通用しなくなり、極端な意識改革が求められるでしょう。しかし、国自体に勢いがあるので、単独で動く可能性が強いでしょう。そこが危険ではありますが。
 どちらにしても、いろんな国があるからバランスが取れるのです。世界の全部の国が陽の時代なら大変なことが起きます。動乱期、平和期、中庸期……このようなバランスがあるから世界はまとまっていけるのです。
 では、これからの時代を引っ張っていくのはどの国でしょうか?
 経済的なことでいえば、やはり中国ではないでしょうか。今絶頂期ですからね。インドはまだまだインフラ関係が整っていないからこれからといったところです。
 ただ、地球規模で考えたとき、自然の摂理からいえば日本ががんばらなければいけないと思います。一つのことをこなし、道を究めていく中道の生き方が地球規模で求められるはずです。そういった意味では、モンゴルも期待される国です。これからはそういう考えで国家を運営していく国が地球を救うのではないかと思います。

次世代へは魂しか継承できない

 生きていくうえでお金や暮らしといった現実的な面は大事ですが、これからは物質的なことに力を注ぐときではありません。まず、健康であることが一番の課題です。健康な上に「和の心」が培われて、初めて経済的なことが成り立つのです。「和の心」を大切にしていれば、必ず、そこには経済が回ってきますから。
 また、穏やかさ、バランス感覚も大事です。弱者も強者もお互いに認め合うという精神がこれからの地球を救っていきます。その大きな責任を負わされている日本が、ここでちゃんとしておかないと、次の陰の時代は大変なことになりますよ。精神の次元をしっかりと確立しておかないと、また今までのような悲惨さが訪れるはずです。
 私たち大人は今のためにやるのではなく、これからの子どもたちのためにやらなければならないのです。私たちがやれることは伝承しかありません。魂しか継承できないのではないでしょうか。これからの子どもたちに正しい生き方を見せて、伝えて、現実の現象で表していくことが大事だと思うのですが、いかがでしょうか?
 では、現実の現象というのはどのようなものでしょうか。
 それは制約・枠組みの中でどれだけ自分の力が発揮できるかに挑戦することです。そうすることで創意工夫、想像力といった精神性を高める素質が備わってきます。何も制約がない野放図なところで物事を創造することはとても難しく、とんでもないものが出来上がります。バランスを欠いたとげとげしいものが出来上がる可能性が高いといえます。
 精神の格や次元を高めるには制約が必要です。そこには忍耐が求められますし、工夫や知恵、想像力も必要とされます。人間の五感をフルに使わないといいものは出来上がりません。そうすることで、知らず知らずのうちに精神の格や次元が高まり、五感が研ぎ澄まされていきます。たとえば、なんら束縛がなければ、耳だけを使ってものをやろうとしたり、鼻だけ、口だけ、目だけを使ってやろうとしませんか? 今まではそれが可能でしたが、「和の時代」はそうではありません。
 仕事においても陰の時代のやり方と陽の時代のやり方では大きく変わってきます。これからはもっと柔軟な考え方が求められるはずです。制約があればあるほど、深いところで考えたことが現実となって現れてきます。
 たとえば、レストランを建築するとしましょう。これからの建築士はいかに自然の景観とうまく調和するかを考えて建物を建てるでしょう。陰の時代には建築士の飛び抜けた感性だけで建物を建てて、それがもてはやされました。周囲のことを考慮せず、建築士の感性の赴くままに表現してきたはずです。平成18年(2006)に話題になった、千代田区の一角に立った「イタリア文化会館」の真っ赤な外壁色もその一つでしょう。これからは周囲の自然といかにバランスを取るかを考えるときです。したがって、突拍子もない建物は敬遠されます。何事も枠組みが大事です。その中で、周囲と調和していかに創意工夫し、その条件を克服していくことが腕の見せ所となるでしょう。

社会とコミュニケーションを図る

 今までいろいろ話してきましたが、ではこれから始まる陽の時代のいちばんのポイントはなんでしょうか?
 それは間違いなく家庭のあり方です。制約・枠組みが強くなると、当然学校の生徒規約も厳しくなってきます。締め付けが強くなってきます。すると、それに反発する子も出てきます。しかし、それは家庭教育の見直しで変えられるはずです。
 これからは家庭が社会と風通しよくすることが求められます。社会や近隣、学校などと密にコミュニケーションを図って、お互いを認め合えるか、反対にまったく閉鎖的で自分たちだけよければいいという独断の家庭のままでいるのかで大きく違ってきます。
 独断的な家庭は近所と挨拶も交わしません。他人は関係ないのですから。しかし、本来の社会生活とはそうじゃないでしょう? 昔は親の姿勢を見て、はじかみながらも子どもは挨拶を交わしたはずです。普通にやっていたことなのに、今はそれができません。それは親がしないからです。すべての価値判断を相対的に捉えるのではなく、絶対的に捉えているからです。
 そういう家庭は、家族同士でも挨拶をしなくなります。「おはよう」「行ってきます」「ただいま」「おやすみ」といった、家族として当たり前の挨拶さえしません。社会に対するのと同じような振る舞いを家族にもしています。これは人間が病んでいる証拠です。人によって生かされているということを認識していない証です。
 各家庭でいろんな家庭事情があると思いますが、あればあるほど社会との交流が大事なのではないでしょうか。自分たち家族だけでは解決できないことが世の中には起こるはずなのに、それを自分たちだけで解決しようとするからおかしくなってくるのです。子どもが何かをしでかしても近所付き合いがあればみんなで指導できます。それなのに外見を気にして「しでかしてはいけない」と内にこもるものですから、問題はますます複雑になり、挙句の果てには最悪の状態にまで進んでしまうという例が多々あります。
 長年、いろいろな人を鑑ていると、家庭が壊れる原因のほとんどがそうだということがよくわかります。見かけだけの出来合い思想が生んだ現象です。
 家庭だけでは解決できないことがあるから、区や都、国にその窓口があるのです。「世間は何もしてくれないじゃないか」ではなく、今までの反省を踏まえて、そういう社会にしていくことが大切です。他人任せではなく、私たちが国を、社会を変えていくという気持ちをもちましょう。問題を起こした子を変な目で見る社会ではなく、一人の人間としてみんなで育てていくことが大事なのではないでしょうか。救いがあるのは、それを経験した人たちが会を作って、手を差し伸べるようになってきていることです。それがすごく大事なことです。家庭環境がすごく大切。それが母子家庭であろうが、お母さんが社会に目を向けていくことが大事で、母子家庭ということで引け目を感じて内にこもるとおかしくなってしまいます。子どもはなんとも思っていないかもしれないのに、親の引け目でそういう結果を招いてしまうことがおそろしいのです。

家庭環境が一番大切

 私は家庭環境の中に制約・枠組みがあったら、引きこもりなどは生まれなかったと思っています。それが、昭和30〜40年代の高度経済成長とともに核家族化が進み、おじいちゃん、おばあちゃん、お母さん、お父さん、子供たちという家族構成が崩壊してしまいました。昔はちゃんと縦の関係があったのに、親も子どもも横並びになってしまい、親子が友達関係になってしまいました。親と子の距離が近すぎると、問題が起きやすくなります。家庭においてもそれぞれの立場があるからこそ和ができるのではないでしょうか? みんなが横並びになったら、それは群れです。群れというものはあるところ動乱を招くところがあります。
 縦の関係をしっかりとして、それぞれの立場を重んじることで自分の立場というものが決まってくるわけです。そこに自然と役割ができてくるのです。おじいちゃんやおばあちゃんの優しさ、お母さんの厳しさ、お父さんの尊厳といったものを自然と見て、子どもは育ち、自分の位置や立場をわきまえたのです。
 日本人の生き方、隣近所との付き合い……今こそ映画『三丁目の夕日』の精神を思い起こすことが大事なのではないでしょうか。あの精神を土台にして近代的なよさを取り入れていくことが、これからは求められると思います。今はお醤油が切れても借りに行くことはなくなったし、何か物を差し上げようと思っても行き辛くなりました。そんなことしたら変に思われるんじゃないかって逆に思いますよね。「余ったから食べて、もらい物だけど」……今はそれができにくくなりました。心の価値観が失われている証拠ではないでしょうか。プレゼントをするにしても、心のこもった物をあげるより、高価な物をあげたほうが喜ばれるというように変わってきています。
 食事にしても、外食したほうが安い、買ってきたほうが安いといった感覚ですね。そこには心のコミュニケーションがありません。手作りのよさとか、親が作る料理は愛情という同じ家系の氣がこもっているだけにおいしいとか、料理には作る人の心がこもっているものです。それは単に栄養価の問題ではなく、心がこもった料理は体にとっていいものなのです。
 人間ってものすごく可能性が大きい動物なのに、自ら可能性を潰しているように思われます。神秘的な生き物なのに、テレビで得た知識を信奉して、自分をどんどんだめにしているのではないでしょうか。テレビの料理番組や料理本どおりに料理を作っても、そこには個人の思いが入っていません。昔は家庭ごとにいろんな味があって、それがお袋の味だったわけですよね。味の違いに違和感はありませんでした。でも、今は本当のおふくろの味がなくなりつつあります。
 昔は経済的に苦しいお宅があっても、近所の人たちがおかずを差し上げにいったりして、助け合い、支え合っていたものです。今は一軒のうちがおかしかったら、全部がそこを被害者のように扱います。また、いくら大金持ちでもそういうところは見せませんでした。大金持ちや頭のいい家系は昔からありましたが、それを誰も羨んだりはしなかったはずですし、その人たちも見せびらかしたりはしませんでした。つつましく、奥ゆかしく暮らしていました。みんな「足るを知」っていました。分をわきまえて生活していたはずです。
 それが、みんなが同じになろうとしたばかりにおかしくなってしまいました。協調性があるということは同じになるということではありません。金持ちには金持ちなりの苦労があり、貧乏人には貧乏人の楽しさがある。その制約の中でいかに楽しみを見つけるかということが大事なのではないでしょうか。
 現代は人として、日本人としての感覚がどこかで狂ったとしかいいようがありません。ですから、制約・枠組みというのはすごく大事で、その中で自分の克服の仕方、活かし方、隣とのバランス、前後とのバランス……ともに伸びていこうという気持ちを育んでもらいたいと思います。
 島田洋七さんの『佐賀のがばいばあちゃん』が人気になっているのは、日本人が心のどこかでそれを求めているんじゃないかと思います。日本人って頭がいいと思います。順応性があり、すべて受け入れて自分のものにする柔軟性もあったはずです。もっともっとしたたかな民族だったはずです。それが戦後、同じ価値観を押し付けられて、金太郎飴のような人間になってしまいました。今一度、日本人としての「和の心」を思い出し、制約・枠組みの中ですばらしい花を咲かせていただきたいと願っています。